FILM DE BLUE

映画の記録を綴ります。古今東西映画博客

ルイス・ブニュエル監督『銀河』で初めて"共感"する宗教観に出会う

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これは、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラに巡礼に向かう2人の男と、道中で巻き起こる聖書やキリストのエピソードが織り成すドラマです。東海道中膝栗毛みたいな映画(笑)サンチャゴ巡礼にいく割りに(?)あまり信心深くない2人はまさに弥次さん喜多さん

 

この映画を当時見た、敬虔なクリスチャンは失神したんじゃないかしら。キリストをうやうやしく扱う人々、キリストの威を借りて神の真似事をする人々(司祭とか)、神の本質を自分で学ばず鵜呑みにしている人々、神の意思(体制の意思)を権威の元に振りかざして異教徒を処刑する人々、自分の語る神がいかに真実であるかということをすごい圧で教えてくる人・・・をこれでもかというほど巧みに風刺している。というか、コテンパンにしています。。(この風刺が実にブニュエル節~!)

 

そんななか、ブニュエル監督が描き出すキリストというパーソナリティが、長年私が思っていたキリスト像に本当に近くて、長年の私なりの疑問がちょっと解決したような、すごく感動的な気分になりました。(私は日本人的無宗教)

 

キリストは現代で言うところのヒッピー、セレブ、またはローカルアイドル、まさに最初のそれだったのだ、と。なのでキリストの周りの使徒達は世界最初のグルーピー(笑)ということになります。キリストは、超サイキックで面白いあんちゃんだったんじゃないか、と。不思議な力で病気は治すは、話は普遍的で面白いわであっという間に地元の人気者になっちゃって、でも本人は思い上がることもなく、仲間とひとりの人間として旅を続けたのではないかと思えて仕方ないのです。

 

教義や堅苦しい儀式、戒律、宗派による弾圧なんかは全くもってキリスト本人の人間性とは相反するものという気がしていた私にとってこの映画こそが福音だった、と。


多大な影響力を残した人物を後世に残った人があれやこれやといいたがるのは世の常だけど、2000年語りつくされキリストのパーソナリティはやはりものすんごく本人とかけ離れてしまっても仕方ないのかもしれません。


最後のほうでキリストという存在が人間の哲学的な成長を試すためにやってきたんだ!と挑むようなシーンがあります。キリストという存在をゆがめて捻じ曲げて、権力と富を欲しい儘にした人間もいた一方で、純粋に信じることや、人類の罪を引き受けて死んだ(真偽は永遠に不明だが・・・)キリストという人間に対して尊敬の念を寄せる人は今も世界中にいるだろうし、職業や階級に拠らず人間て何なのかということをみんなが議論するきっかけにもなったのね。うーん、深い。

 

劇中、信じてても、信じてなくても神の奇跡がおこるっていうシーンもあってそれもまた、この2000年来の真実なのね・・・!と感心させられる。

 

監督はスペイン人で、キリスト教が根強い国です。生まれながらにみんな教義に染まってそうで、そうではないのよね。監督のこのキリストを語る曇りなき瞳は・・・・!まさしく慧眼であろうと思うのです。