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FILM DE BLUE

映画の記録を綴ります。古今東西映画博客

フェデリコ・フェリーニ監督は映画界の終わらない叙事詩

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フェリーニは私が本当に愛している映画監督の1人です。つい先日も『サテリコン』を見直して素晴らしさにため息をつくのでした。

 

イタリア映画の60年代はまさに黄金期。ローマはパリと同じように摩訶不思議な人々が集まる超刺激的な都市だったようです。ニーノ・ロータの音楽も素晴らしい。今映画を見ても全く!色あせる部分、古いなと思う部分がなく、芸術としての神性を保っています。

 

フェリーニは前期と後期では(そんな区切りはないとおもうけど、作風がだんだん幻想的になってくる)かなり違っているけど、どの作品も人間に対する深い洞察が感じられます。

 

フェリーニの『道』は良く知られる作品です。ジュリエッタ・マシーナアンソニー・クインは天才的な存在感で魅せます。ここでのジュリエッタはちょっと頭が弱いけど、愛するものを信じて希望を失わないエンジェル的な役どころ。川島雄三監督『風船』の芦川いづみさんのような。本当に心がピュアな人じゃないとできない役ですね。モテモテのフェリーニ監督がジュリエッタを奥さんにした理由が分かる気がします。

 

日本でも有名な『甘い生活』もタイトルの印象とはちょっと違う、実験的で先鋭的な面白さがあります。今見てもぶっとんでいます。

 

フェリーニの素晴らしいところは、シーンそのものが1人の人格のように見えてくるところです。侠気乱舞する宴のシーンでも映像の中で必ず無表情の人が1人2人いたりするんですけど、人間て我を忘れて馬鹿を演じているだけで、この無表情の人間の視線も同時に持ち合わせているんですよね。どの映画にも無表情の人がとっても沢山出てくるんです。じっと見つめているのはフェリーニ自身へのオマージュかも知れないけど私にはすごく潜在意識的だな~と感じます。

 

フェリーには常に映画に出演してくれる変人を探していて、撮影中でも毎日オーディションをしていたとか。インド人、奇術師、霊媒師、腰蓑の黒人ダンサーなどなど、まあとにかく変な人が妙に生命力ギンギンで次から次へと出てきます。彼らの生命力に燃える瞳がまたいいんです。現代人になかなかいないギラギラ度です。行った事はないけど、パリ万博の見世物小屋ってこんな感じだったのかな・・・とか妄想します。

 

超絶に神格化された美しい人が最後まで1言もしゃべらなかったり、現代風刺ともとれる、社会に囚われた卑しい人間に見せる演出・・不思議すぎるポージング(意味もなく会話しているときに変なポーズを繰り返す)今見ても本当にかっこいい演出です。とにかく浮世離れした人々が沢山出てくるのですが、ひとりひとりの不可解な行動も見終わるとなんとも違和感が調和になり、溶け合い、詩になって昇華してゆくのです。なんだかわかんないけど素晴らしかった・・・と思えるのはさすがです。それも塞翁が馬、というか人生の出来事に似ているな、と思ったり。

 

魂のジュリエッタ』現代でもあんまり取り扱わない、女性の意識解放の映画です。フェリーには浮気ばっかりする自分の贖罪の気持ちを込めて奥さんであるジュリエッタにこの映画を捧げたとか。上手に芸術的に見せているので、自己意識開放!なんて身構えるようなシーンはありません。女性であるが故に起こるもやもやを解決すべく奮闘する主人公。相手ではなく、自分の内側に答えがあることに気づく、とても深いお話。見た後はスッキリした気持ちに。

映画の美術も本当に素晴らしく、セットとは思えない重厚感と芸術性を持っています。なので映画の世界に浸るとつい迷い込んでしまうのです。 ストーリは常に詩のように進んでいき、夢から夢へといざなわれる様な世界・・・。あれ、この話って結局何なんだ?!と思ってもそこは映画の叙事詩。何度も観るうちに奥深く心に響いてくるのです。何度もアタックすべき芸術=フェリーニです。(笑)